2011年4月22日金曜日

4.17鴨川大風呂敷への参加

鴨川の三条河川敷にて4月17日に行われた、「原発もうムリ!鴨川大風呂敷」へと参加してきました。この集会においては、参加者は反原発を唱えるとともに、福島から京都へと避難してきた被災者のための「京都避難生活マニュアル」が、会の主催者によって配布されるなどしました。
参加者は順に、各々の主張、思いをアピールし、われわれ「京都から東北大地震被災者を支援する会」もまた、福島にて被災した子どもを受け入れるという活動計画をアピールしてきました。カンパも呼びかけたところ、15,606円集まりました。当日カンパをお寄せくださった方々、ありがとうございました!

文責:橘

2011年4月19日火曜日

子どもたちの受け入れ先の確保

3.31のシンポジウムにご参加頂いたみなさまに、福島の原発事故に被災した子どもたちの受け入れ先・ホームステイ先を募ったところ、合わせて6件の申し出が集まりました。人数にして、約25名の子どもたちの受け入れ先が確保されたことになります。場所は京都や大阪、滋賀、兵庫などの関西圏から、神奈川や埼玉など関東圏にまで及びます。
25名というと、規模はまだまだ小さいように思われるかもしれませんが、とりあえずのスタートを切るには十分な規模です。一人でも二人でも、とにもかくにも子どもたちの避難の受け入れをすることによって、京都にも福島の支援を行う者がいる、というメッセージを福島の被災者の方々へ送ることができます。われわれなりの力で、全力で福島の被災者の支援を行っていきたいと思います。
受け入れ先の提供を名乗り上げてくださった方々には、この場を借りて再度感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。なおいっそうのご協力をお願いします!

文責:橘

2011年4月11日月曜日

3.31緊急シンポジウムのご報告

「チェルノブイリ被ばく者支援から学ぶ3・31緊急シンポジウム」について、遅くなりましたが、ご報告します。

私たちは、「京都から東日本大地震被災者を支援する会」と申します。去る3月31日に京都大学農学部において、「チェルノブイリ被ばく者支援から学ぶ3・31緊急シンポジウム」を開催し、医師の振津かつみさんをお呼びして、講演会を主催しました。振津さんは、20年にわたり、チェルノブイリ原発事故の被ばく者と交流し、支援活動をされてこられた方です。
京都大学農学部で、16時から開いた討論集会では、支援のあり方等、さまざまなことが議論されました。
この議論のなかで、とりわけ印象に残ったのは、広島で被爆された方の発言でした。爆心地近くで満員電車で被爆したが、自分はその翌日に広島を離れ、その後1年間は広島に戻らなかった。電車に乗っていて、生き残ったのは、自分ひとり。放射能汚染された土地から一刻も早く、子どもたちを離れさせる、という君たちの取り組みを強く支持する、といった内容でした。会場から大きな拍手が沸き起こりました。
ほかにも、コミュニティの維持に配慮すべき、であるとか、子どもの心について慎重な配慮が必要である、といった貴重なご意見をいただきましたが、当面、短期間緊急退避策として、数日でも、数週間でも子どもたちを現地から離れさせる、という私たちのプランの意義については、会場にお越し下さった多くの皆さんのご理解を得られたと考えています。

●18時からの振津かつみさんの講演要旨
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なぜ、どのように原発問題に出会ったか。「原発ジプシー」という書物との出会い。原発は、たとえ事故がなくても、日常的に被ばく問題をかかえている。原発の核燃料ウランを採掘する際には、先住民の居留区で、その危険性のアナウンスもなく、大量の被ばくを生み出している。
子どもの甲状腺がんは、有意に増えた。事故後、15年~20年経つと一見して、子どものガンが減ったように見えるが、それは、事故の頃に被ばくした子どもが成長して、大人になったから。その世代の大人の甲状腺ガンは増えている。
その他のガンについては、高汚染地帯から、大規模な移住があったこともあり、追跡調査も十分にできていない。そのため、一見して有意な関係を見出すのはむずかしい。しかし、放射線はその被ばく線量が増えれば増えるほど、発ガンやそれの伴う病死の可能性が高くなることは間違いない。ここまで少なければ、安全という閾値(いきち…しきい値ともいう)はない、と考えられている。内部被ばくも確かに重要なポイントだが、そこを強調しすぎると、高濃度に汚染された土壌からの外部被ばくが忘れられてしまう。そこにも注意しないといけない。
放射能汚染のホットスポットになったベラルーシに20年にわたり、支援活動を続けてきた。子どもたちに対しては、高汚染地域から、比較的汚染の低い地域でのキャンプなどに招待する取り組みを続けてきた。支援活動で世話になった友人で、現地で美術の先生をしていた女性(ターニャさん)が脳腫瘍で亡くなった。チェルノブイリ事故との関係をはっきりさせることはできないが、彼女自身は、チェルノブイリの事故のせいだと思っていたし、そうした自画像(チェルノブイリ~黒い運命)を残している。(このお話をするとき、振津さんは涙を流していた)
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このシンポジウムで、私たちは、福島県飯舘村や福島市などの、高濃度の放射能で汚染された地帯に、避難もできぬまま、子どもたちや妊婦さんたちが留め置かれている問題に注目しました
そこで、まず、私たちはこうした地域について、短期避難のプランを立て、現地の人たちに呼びかけることを確認しました。シンポジウムには、130名ほどの人たちがつめかけ、80名ほどの方々からメールアドレス、そのほかに30名あまりの方々から電話番号の連絡先を頂戴し、ネットワーク作りに努めることになりました。(会場でのよびかけで約4万円のカンパが集まりました)
今、ようやく、マスコミ報道でも、飯舘村の土壌の高濃度汚染の問題が取り上げられるようになりました。また、村自体も、妊婦さんたちを優先的に避難させることに動き出しました。
こうした動きは歓迎されることですが、その避難先が、飯舘村に次いで高い放射能汚染にさらされている福島市であることには、問題があります。
動き始めたばかりの私たちの力は、とても小さく、貢献できることには、限りがあります。私たちは、少なくとも、子どもたちをショートステイのような形で、数日でも数週間でも、現地から離れさせることが、何にもまして重要だと考えています。その場所として、京都からも手を挙げることができれば、嬉しいと考えています。そのために、子どもたちが現地での不安を一時的にでも逃れ、安心して過ごせる、ちょっとした修学旅行のような場を提供するための、しっかりとした宿泊施設や受け入れ場所を探しています。
不十分ではありますが、みなさまへの第一報といたします。
(文責 滝澤)

2011年4月1日金曜日

3・31緊急シンポジウム

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